カイゼン研究会のパートナーであり、HRP(ヒューマンリソースパートナー)日中異文化経営コンサルタントとして、フリーランスで活動している金です。
私は日本生まれ日本育ちの華僑第3世で、中国で1990年代後半から活動をしています。
中国における経営・事業・組織・人事・マネジメント・コミュニケーションを含め、日々気づいた事をこうしてメルマガで発信させて頂いております。
コミュニケーション
「推測」「期待」「テレパシー」
中国で働くという事は「違って当たり前」を受け入れ理解すること。
頭ではわかっていてもなかなか出来るものではありません。
中国の社員と話していると
「ずっとそう思っていたんだ・・・」
「普通はそう考える・・・」
「そんな風に考えていたんだ・・・」
と言う様な事は多くないでしょうか。
書籍やテレビを含めたマスコミに影響される事も多く中国に対して画一的な見方になりがちです。
情報はあふれるほど多いのですが本当の姿はなかなか伝わらないものです。
しかし駐在や長期出張を含め、中国で仕事をしたことがある人であればその違いやとまどいは多いと思います。
日本と中国、日本人と中国人は外見や文化において限りなく近いとは思いますが、環境や国情、考え方などはかなり違います。
双方共に長きに渡り培われた価値観や基準はそう簡単に変わるものではありません。
またそれは違って当然です。
「肌の色以外は全て違うと思ってください」と伝えることもあります。
ビジネスの現場において双方の意見の相違は誤解や偏見に左右される事が多いのも事実ですが、本質的に大事なのは双方がコミュニケーションしようとする気持ちです。
人間が言葉でコミュニケーションできるのは心の中の何%でしょうか?
同じ民族が同じ環境で同じ言語でコミュニケーションしていてもいわゆる「勘違い」は起きます。
ましてや中国であれば言葉も違い、国情も違うのですから余計コミュニケーションギャップは大きくなります。
違いを認識し、口と目と耳と心を使い相手の心を知ろうとするコミュニケーションはエネルギーとパワーが必要です。
駐在員を含めた日本人の中国人社員に対するコミュニケーション手法を見ていると、ある共通点があることに気が付きます。
それは日本人のコミュニケーションスタイルが「推測」「期待」「テレパシー」のコミュニケーションだということです。
中国人社員が直属の上司である日本人に「例の資料ちょっと持って来て」と言われたとします。
この日本人上司の頭の中では
「月末だし今の状況からして俺の机から売上計画の資料を持ってきてくれるだろう・・・月末だし」
と考えたとします。
一方中国人社員は
「上司は確かに忙しそうだ、月末だし何の資料か聞くと怒られそうだからとりあえず売上計画の資料を持って行こう」
となればうまくいきます。
しかしこの中国人社員が
「上司は忙しそうだ・・・いらいらしているし、取りあえず商品データの資料を持っていこう」
となると大変なことになります。
商品データの資料を見た日本人上司は(何でわからないんだと思いながら)
「この忙しいのに!俺が欲しいのは売上計画の資料に決まっているじゃないか!月末だろう?日本では当たり前だよ。何でそんなことがわからないんだ!」
となります。
中国人社員は怒られながらも心の中では
「怒るぐらいなら最初から月末だから売上計画の資料を持って来てと言えばいいのに!怒っている時間がもったいない」
と考えます。
その場はなんとか収まるにしても、この2人が今後もいいコミュニケーションが出来るとは思えません。
日本人上司は
「中国人は先が読めない」
となり、中国人社員は
「日本人はよくわからない。それにいつも怒っている」
となり距離は開いていきます。
日本人のコミュニケーションは往々にして推測し期待している事が多いようです。
「一を聞いて十を知る」
「あ・うんの呼吸」
という言葉からもわかります。
同じ土壌、環境、言語で育ち長い時間一緒にいれば通じる可能性は高いかもしれませんが、異国で環境も言語も国情も違う中では
「なぜやらなければいけないのか?」
「あたなはどう思っているのか?」
「どうすればいいと思う?」
等々踏み込んだコミュニケーションが必要になってきます。
中国人のコミュニケーション手法は「合理的・直接的・直情的」です。
推測し期待しているだけではなかなか動いてはくれません。
やりすぎていると思っているぐらいのコミュニケーションがちょうどいいのかもしれません。
コミュニケーションの手法を少し変えてみるだけで新たなヒントが出てくるかもしれません。