中国現場カイゼン研究会のコラム

中国における製造業の生産性向上をデジタルとTPSでサポート。中国に製造にまつわるアレコレを書いてます。

秦と漢時代から見る「ルールと管理」についての雑談

春節明けなので

閑話休題な話になりますが、、

 

皆さんの会社でも

たくさんのルールや制度があると思います。

「なかなかルール守ってくれない」

「ルールの目的が忘れられ形骸化している」

などなど

工場でもよく問題になるトピックです。

 

今回は今では当たり前となっている

組織管理に必須の「ルール」の運用について

考えていければと思います。

 

 

中国秦の始皇帝が法によって国を治めた

というのは今でも有名な話です。

 

しかし、ルールによって人を管理するという考えは

そのはるか昔からあり、

 

中国を統一する前の秦でも商鞅という人が

法での統治を進めていました。

 

たとえ、国王の息子でも

違反すれば罰するという厳格な運用をしていたようです。

(それで恨みを買い、後に報復され逃亡しようとした際に、自分で作った法律と例外を許さない運用のせいで、国境で止められてしまうという逸話があります。)

 

 

法律とは言いますが、

この時の法というのは

現代で考える法とは違います。

 

今では当たり前の三権分立という

機能もない中での運用なので

やはりトップの考えが色濃く反映されるものです。

 

こう考えてみると

戦国時代から発展してきた法での統治は

現代でいうところの企業ルールにより近いように感じます。

 

他国との競争の中で

生産力を高め、税収を増加させ

自国の競争力を高めるために考え出されてきました。

 

 

では、他国にも法やルールがあった中で

秦は何が違っていたのでしょうか?

それは中央集権による例外なしの運用と

その内容の細かさ、厳格さが違っていました。

 

他国でもルールは作られていましたが

その範囲は中央だけにとどまり

他の地域では豪族や貴族などに運用は任される

というのが一般的でした。

 

 

何がルールとその運用に差を生んだかというと

トップの人間観や意思であるように感じます。

 

この戦国時代は

諸子百家というように

今までの王朝の秩序がなくなり

各国が戦国の中でどのような国を目指すべきか

という思想家がたくさん出てきた時代です。

 

儒家墨家道家、法家、兵家など

今でも有名な思想が一気に出てきて

各国のトップがどれを重視するかで

その国のルールや管理に影響したはずです。

 

秦の始皇帝

その中でも法家の考えを重視しました。

 

有名な韓非子の中で

多くの文章を割いて、

儒家の批判をしていることから

その時代に各国で重宝されていたのは

孔子から始まる儒家の思想だということが分かります。

 

この思想内容には深く立ち入りませんが

 

儒家の思想は

仁(人への愛や思いやり)

礼(仁を表現する行動や習慣、礼儀)

など人間の内面の徳を重要視する考えで

忠(君主に対する忠義)

孝(親や年長者に対する敬い)

につながります。

 

法では刑罰では人の心は動かず

ごまかしや、厚顔無恥な態度で抜け穴を探し人はついてこない。

 

だから

道徳と礼儀をトップが尊重することによって

人がそのような態度を恥ずかしくなる、

その恥の気持ちから行動を変えてもらう

というような考え方です。

法は道徳向上のための補助手段に過ぎないということです。

 

 

このような考えが強い時代に

秦の始皇帝は合理的な法家思想を重視します。

 

性善説性悪説の話もありますが

韓非は人間の内面に頼らない考えを示します。

 

人間は欲望のままに動いてしまう

それは自分の利益を追うからだという

利の人間観を説きます。

 

君主は

道徳より利を優先する人間に対し

それを法と術でコントロールするべきだ

という考え方です。

 

法は明文化されたルールであり

術はアメとムチでのコントロール

今で言うインセンティブのことです。

自発的な行動には任せないという意思が伝わります。

 

資本主義の中での企業のように

道徳や縁故ではなく

結果と能力で判断するという考え方です。

 

そしてトップは

例外なく、感情抜きで

結果に対し信賞必罰を実施する必要があるということです。

 

非常に合理的で、現代にも通用する考え方ですが

儒教的な時代に秦の始皇帝はこの法家思想を

徹底して進めます。

 

 

その頃の秦の法律を見てみると

今でも通用するような法律がたくさん出てきます。

食料倉庫の管理を取ってみても

 

穀物を倉庫から搬出する際には、搬入した者とは別の者が搬出作業を行い、その分量を量り、帳簿と合致してはじめて搬出させよ」(倉律)

 

厳密にルールが明文化されていて、

今の工場でも、不正やコンプライアンス対策として

そのまま使えるようなルールになっていて驚きです。

 

 

内容だけでなく運用に関しても徹底しています。

 

例えば

「君主が布団をかけず眠ってしまっていたのを見て臣下が布団をかけてあげた。その臣下は衣服担当であり、布団担当ではないので、この場合、衣服担当は越権行為、布団担当は職務怠慢で2人を罰すること。

 

良かれと思って行った行為でも

法から外れていたり、越権行為は許さない。

良心に従って行ったとしても、それがエスカレートすれば

役人の越権行為を生み、秩序を乱すことになると

ここまで徹底した考えのもと運用されていました。

 

しかし、

ここまで徹底しようとすると

管理や取り締まりの工数は大幅に増加します。

 

秦が中国を統一後

厳格な法治管理が各地で適応されましたが

やはり、末端まで厳格に運用されていたかというと

そうではないようです。

 

特に楚の国では、なかなか守ってもらえず

何度も法律を改正し、中央からの役人を増やし

どんどん厳格に取り締まるようになりましたが

逆に、民の恨みを買うという結果になりました。

 

項羽と劉邦で有名な、項羽は楚の武将で

秦の始皇帝がなくなった後に、政治が不安定になった際

造反軍として秦を滅ぼします。

 

やはり厳格で細かな法の運用は

管理される側へ相当な負担をかけていたように感じます。

 

劉邦により漢が中国を統一した後は

法家の思想家たちは衰退していきます。

道家儒家がまた台頭してきます。

 

それは法やルールがなくなっていったのではなく

法という制度は維持されますが、

その解釈の方法の変化に表れてきます。

 

秦の時代の合理的で厳格な結果主義から

漢の時代は儒教の影響を受けた法解釈になっていきます。

 

これは中国での法の特長であり、

ヨーロッパでは法思想には明確な聖典(キリスト教)との結びつきがあるのに対し、中国では儒教の影響は大きいですが、決まった形で受け継がれるわけではなく、やはりトップの重視する思想に影響を受けながら変化していきます。

 

 

それ以降、仏教や道教の台頭などが起こりますが

中国の皇帝や上級社会、科挙の試験などを通して

重視されてきたのは儒教でした。

 

漢の時代の刑法の判断にもその思想の変化が表れている

面白い例があります。

 

「子供が罪を犯したときに、親はどう対処すべきか?」

このようなジレンマを抱えた事例が、この時代にもありますが

 

儒家の論理による解釈では

家族の情愛に基づきこの罪を隠すことは良しとされ無罪になりますが、法家の論理では法の実効性が第一優先なので、告発しなければ隠したとして罪となります。

 

秦の時代から漢の時代にかけて

ルール自体に大きな変更があったわけではないようですが

情や家族、人間の内面、道徳を重視するという

解釈の方法が徐々に変わっていっています。

 

話はそれますが、

今回の春節の大型映画「第二十条」でも

この法解釈がテーマとして扱われていました。

 

検察官の男が

・いじめを止めようとして加害者を傷つけてしまった息子

・借金取りに妻が暴力を受け、夫が借金取りを殺害してしまう事件

という問題を抱えます。

 

動機は良心からなのに、良心を発揮した方が罪に問われる現状に対し、道徳、良心を優先する判決を主張するというラストシーンがあります。これを見た中国の法学生の間も賛否両論が起こるという内容でした。(映画自体はコメディ要素も多く楽しい映画ですのでぜひおすすめです)

合理的で画一的な法治と人間の道徳的な正しさとの間で起こる摩擦は、現在でも映画のテーマになるほど答えのない問いだと感じました。

 

 

話を戻すと、

こういった解釈の移り変わりは

トップの考えの違いだけでなく

秦の厳格な法治が民から恨まれていた

ということへの反省や揺り戻しもあるのかもしれません。

 

 

法だけでなく統治制度も秦から漢にかけて揺り戻しが起こります。

 

秦は統一後も中央集権化を続け

郡県制という、皇帝が任命する役人によって

地方の管理を進めました。

 

漢に変わった後は

郡国制という、中央直轄地は秦と同じ方式

地方は封建制、つまり諸侯に統治を任せるという

秦の時代と周の時代を混ぜ合わせた統治に切り替えていきます。

 

漢はこれを行い、反発なく統治を進めた後に

徐々に郡県制、中央直轄の領地を広げ中央集権化を推し進めます。

 

しかし、後漢では徐々にまた地方の力が増し、

豪族や地方役人のコントロールが中央から離れていきます。

その後、自然災害による飢饉や黄巾の乱などが起こり、群の役人だった董卓や県の軍人だった曹操が登場する三国時代が始まっていきます。

 

このように漢時代は封建制と郡県制を交互に繰り返しながら400年にわたり続きました。(秦は15年ほど)

 

これは後の隋唐、宋などでも同じような流れです。

戦争の頻度や景気の良し悪しというのは安定することなくコントロールできないものです。その中で中央集権が行き過ぎるとの徴税などで地方が不満を持ち反乱がおこる、逆に地方に任せすぎると力を持つようになり、

中央が政治、経済的に不安定な時に野心を持ちだす。

この繰り返しが続き、帝国→戦国→帝国が起こっていきます。

 

以降の時代の皇帝や政治家も

郡県制と封建制どちらが統治のためには良いか?

というのはずっと議論されてきている問題です。

 

両方の間を取りながら

郡の範囲を変えてみたり、中央から派遣する官吏の権限を財政と軍事に分けてみたり、官僚を増やしてみたり、と様々な試行錯誤がなされつつ、

今につながっている制度でもあります。

 

 

どちらが良かった

時代によって一変したということではなく

ルールによる管理自体はずっと引き継がれていきます。

隋唐の時代には中央集権と律令体制が確立され

統治制度のロールモデルとなり

日本もそれを学んで律令制を取り入れようとします。

 

中国の流れと同じように

日本でも中央集権的な統治は

飛鳥時代から奈良時代平安時代初期まで続きますが、

崩壊していき、貴族による分権化が進みます。

 

 

このような変遷は現代の組織でも起こっているような気がします。

 

皇帝が変わっても

国の民は変わらないように

企業のトップが変わっても

企業の従業員が一気に変わることはありません。

 

創業期のトップは

ルールを作り、それを浸透させるために

目を光らせ、徹底することから始まります。

中央集権的にならざるを得ません。

 

立ち上げや変革の際はこれが必要ですが

従業員や幹部は自発性がなくなったり

疲弊していくことも考えられます。

 

次のトップはそんなことを察知しながら

より任せる、分権化、エンパワーメントする

という対応を選ぶかもしれません。

 

そうすると反対に

最初は自由と権限を持ち自発的に貢献していた部下も

その権限を自分のために使うようになり

ルールによる統制が乱れたり、

企業としての競争力が落ちてきたりします。

 

このようなサイクルが一定間隔で起こり

また、中央集権的な改革が必要になる。

 

どちらが正解ということではなく

 

組織や環境、以前のトップからの流れを見て

今に合った方法を選んでいくことがいるのかもしれません。

 

歴史に残り、後世で有名になるのは

中央集権的に

イチからルールを立ち上げた人や

徹底的に変えた人達ばかりですが、

 

その間で

安定や秩序のために分権化を進めた人や

より細かな改正や解釈変更を通して

組織に根付かせた人たちの存在があります。

 

また、組織にとって

どちらの状況でも必要になってくるのは

韓非の言う「術」です。

 

「法」やルールの部分に目が行ってしまうのですが

中央集権でも、権限を委譲していく段階でも

 

トップは「術」の部分、評価やインセンティブ

つまり、何かの結果をもとにアメとムチを使える状態は

維持しておかなければなりません。

 

それがないまま

新しいルールを作ったり

権限を委譲したりしても

それぞれが自分に都合の良い解釈に流れていきます。

 

どのような管理を実行していくにしても

目的は競争力の向上になります。

そこに向かって人が行動するような

間接的な仕掛けが組織にとっては必要です。

 

特に中国企業はこれを徹底しており

日本企業の方が、より人の自発性とそれへの期待に基づく仕事の進め方になっていることが多いです。

 

どちらが良いというより

結果への責任と権力・権限のバランスが崩れていると

トップとして、自分で決める、任せるという管理ができなくなって

乱れてしまうのです。

 

ここが維持できないと

「結果に責任は取りたくないけど、新しいルールも受け入れたくない」ということが起こります。中央集権的にトップが決めてもそれには従わない、逆にある程度のKPIを提示し、やる内容は任せるという分権管理を進めようとしても、それはできないと言う。というのは、トップが「術」のコントロールを失ってしまっている時に起こるように感じます。

 

今回は思いつくままに長々と書いてきましたが

過去の法や制度の変化、解釈や運用の試行錯誤は昔からずっと続いており、これでうまくいく!というものはなく、状況によって揺り戻しや、使い分けをしながら今に続いてきているという話をしてきました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。